【あけまして、大吉~!】月岡恋鐘が強すぎる
ユニットを選ばない育成スキル、あまりにも達成しやすい条件の120%バフ、そしてダメージコントロール力随一の4凸アピールと正月恋鐘は2022年1月のグレフェス環境において「一強」「壊れ」「クソゲー製造器」と読んでも差し支えのない性能を持って登場しました。
グレフェスランカーはこぞって回し、あるものはあんたん*1で笑い、あるものは天井*2で泣く*3、そんなドラマが広げられたのではないでしょうか。
ですがこう言う人もいたのではないでしょうか?
「取り敢えず恋鐘だけ出たけど天井付近だしチケだけ貰っとくか~」
「取り敢えず強いらしいから天井まで回したけど闇鍋で出るかもしれないから引き換えるのは保留で良いか~」
……なぜ。
なぜ【さよならごつこ】杜野凛世に引き換えないのか
この記事は【さよならごつこ】杜野凛世の魅力を伝えつつ、引き換えチケットを余らせてるPに凛世を早く引き換えてもらうそして正月恋鐘を使う輩を一人でも減らすための記事となります。
とは言えここからは普通にネタバレなので気を付けて。
なお今回は他カードとの繋がりは考えない方向でいきます。
理由は最後に。
行く年と来る年の間
「耳を……離れぬ音……」
「貴方さまを……離れる音……」*4
年末年始、久々の旧友や家族と再会し団欒を楽しむ日々でもあります。
ですが冒頭のセリフからは、それとは違った意味合いを感じ取ることが出来ます。
年の瀬、考え事をしていた凛世が我に返るシーンから物語は始まります。
そんな様子を見てプロデューサーが何か悩んでいるのではないかと問いかけます。
それに対し、凛世はおずおずと、実家に帰ることを伝えます。
少しでも凛世のことを知っている人はご存知でしょうが、この少女はプロデューサーに恋をしています。
家に帰ることを心待ちにしているというもののどこか優れない様子はある種当然で。
そんな少女にどんな言葉が投げかけられるのかと我々が待っていたその瞬間、突如音楽が鳴りだすのです。
この瞬間の衝撃を是非プレイして感じて欲しい。
「待ってるよ」「気をつけてな」「来年も、よろしくな」
言葉にすれば変哲もなく、何を選んでも同じような選択肢が、どこか永遠の別れに交わす言葉に見えてきます。
一方でプレイヤーの意識を凛世の心情に引き付けることでプレイヤー=プロデューサーとしての構造を打ち壊す意図も込められているのでしょう。
それは単に凛世がプロデューサーと離れるのが寂しいということ描いているだけではなく、プレイヤーと凛世の状況をダブらせることで、年末年始が持つ日常の刺激から隔絶されたどこか退屈な日々というネガティブな一面を描き出します。
特に近年の情勢では帰省が難しく、こちらの意味合いが強くなった人も多いのではないでしょうか。
我々も同様に日常から離れた空虚な新年を迎えているのです。
全体の流れとして、基本的にプロデューサーとのやりとりは、凛世が過ごす年末年始の回想として挿入されています。
ですが実際はその逆。
連続的に続いていくプロデューサーとの日々を別ける出来事として新年が存在し、凛世がそこに飛び込むところから今回のコミュは始まっていきます。
日常の喧騒の中にぽっかりと空いた穴として年の瀬を描く。
新年一発目に発表されたからこそできる手法ではありますが、めでたく華やか物として描きたくなるところをあえてネガティブな意味として最初に提示してくるのは、シャニマスが4年目まで続いたからこそできる芸当でしょう。
行く年と来る年が交わる時
良い時です……凛世には……
───参りましょう……*5
先ほど「基本的に」と言った通り、回想ではない例外も2か所存在しています。
一つはトゥルーエンド、そしてもう一つはこのカードを手に入れた人なら最初に見たであろう、ガシャ演出の瞬間です。
その演出に繋がる物語、凛世の頑固なまでのいじらしさやプロデューサーと凛世の電話がつながった瞬間のカタルシスは是非直接確認してもどかしい気持ちになってもらえればと思います。
ところで、このコミュはプロデューサーと電話がつながり、凛世が「───遠い……」と呟いたところで幕を閉じます。
凛世とプロデューサーが話した内容などは一切描写されることはありません。
もちろんあえて行うことを余韻を感じてほしいというのもあるでしょうが、それ以上に「繋がった」と言うことこそが大事だとも捉えることが出来ます。
ガシャ演出が挿入されたコミュ、『遠きにて』は5つあるコミュの3つ目、ちょうど真ん中に位置します。
まるで前半と後半を結ぶ紐帯のように存在しているのです。
2つ目のコミュ『南天』では、故郷と言う日常から隔絶された場でプロデューサーと離れたことに寂寥感を感じる凛世が描かれ、4つ目のコミュ『常盤』ではその日常に帰る支度の中で母、そして姉の思いに触れ、どこか自嘲的にほほ笑む凛世を見ることが出来ます。
自嘲的に笑う理由、もちろんそれはその後回想として提示された「失敗談」を笑ったのでしょうが、もしかしたらプロデューサーを思うばかり『南天』で見られたように年末年始のネガティブな面に引きずられてしまい、ポジティブな面をないがしろにしてしまったことに気づいたからかもしれません。
またそこに挟まれるプロデューサーとの回想は実は一連の流れだった、ということが『常盤』で明かされるのですが、個人的には結構違和感を覚えるポイントです。
ですがこれが2つのコミュが対称的であることを示していると考えれば納得できます。
そしてプロデューサーから離れることが描かれた最初のコミュ『君離る』とプロデューサーと再会し新年が始めるトゥルーエンド『我に帰れ』が対の存在であることは明らかです。
『君離る』と『我に帰れ』、『南天』と『常盤』、その間に位置する『遠きにて』が具体的になにを「繋いだ」のかは読み手の想像力に任せられる部分なので是非読みながら考えて欲しいです。
最後に
最後だから愚痴。
個人的にトゥルーのタイトルを『我に帰れ』にしたのは失敗だと思っています。
正直他のアイドルはそこまで追っていないので事情は分からないのですが、元々凛世のコミュはカード単体のストーリーだけではなく、他カードやプロデュースコミュの内容を援用してくることが多い印象がありました。
事実、【われにかへれ】と比較しながら様々な視点で【さよならごつこ】の物語が読みとかれており、より物語の魅力を知ることが出来ました*6。
ストーリーの広がりを感じることや収集意欲を掻き立てられ、そこに面白さを感じてもらいたいのは分かりますし魅力の一つだと思います。
しかしその比較対象が今手に入らない期間限定カード*7と言うのは逆に凛世の魅力を届けるための障害になりうるのではないでしょうか。
端的に言えば、露骨すぎて萎える。
ちゃんと読んでる奴なら『南天』の赤と青の比較で察しついたし。
これが今回【われにかへれ】には触れずに紹介する記事を作成したわけです。
今回のコミュは、全体の構成からで見てもかなり練られて作られており凛世の魅力が詰め込まれた素晴らしい作品でした。
そしてそれが最後の家族の思い、そしてプロデューサー共に歩む新年への期待を膨らませる凛世へと繋がり、これまで読み手と凛世の心情をリンクさせる演出も相まって、冬の澄んだ空気で心が引き締まったかのような、新しい一年へ前向きな気持ちで臨んでいけるような気持ちにさせてくれる、新年にふさわしい作品でした。
遅筆故にこんな時期になってしまいましたがまだ引換券を持っている人は今からでも引き換えてもらえればと思います。
「今」だからこそ見える魅力もあればそれも是非教えてもらえれば。
*1:安心の単発IDの略称。良い当たり結果のスクリーンショットだけをスレッドに貼るだけの者を呼ぶところから転じて良い当たり結果が引けたという意味になった
*2:シャニマスは一定回数ガシャを引くと抽選確率が上がっているカードの引換券を手に入れることができるが、それを使って手に入れたということ。
*3:ちなみにシャニマスは300連(=約9万円)で引き換えることが出来るが、他のソシャゲと比較的必要回数が多い
*4:【さよならごつこ】杜野凛世『君離る』より
*5:【さよならごつこ】杜野凛世『常盤』より
*6:例えば「さよなら」はごっこ遊びのように——杜野凛世「さよならごつこ」考察・感想【シャニマス】|灰猫|note
*7:それでも直後に復刻ピックアップされれば事情は変わるが、そういうことはなかった。